AM8:30 起き。2人はまだ寝ている。外にタバコを吸いに行き、お父さんと挨拶。日本から来て、アメリカ中をドライブしていると伝えた。アダムとサムを起こしたくないので、自分の車の中で朝メシ。べーグルとシリアル。
しばらくボケッとする。部屋に戻り、PCを使わせてもらう。昨夜の内に、写真や音声、動画データはネットにアップしておいた。やっぱり、普通のPCは性能が高くていい。
10,11 時過ぎ、アダムが起きた。何か欲しいものがあれば、何でも言ってくれとの事。ありがたい。ベッドも使わせてもらったので、疲労がかなり取れていた。やはり、人の住む家の快適さは違う。暖かいし。アダムの妹が入ってきた。小学生か幼稚園位だろう。
黒人かと思ったが、ラオスとタイのハーフらしく東南アジア系だ。実はアダムの両親の出身国の事は、この時初めて妹の口から聞いて知ったのだった。・・・下手に尋ねると失礼かと思ったからだ。まあ、人によって反応が違うだろうが。
妹の名前・・・忘れた(笑)。とにかく、彼女はよく喋り明るく、とても可愛い女の子だった。日本人の俺が泊まっていると聞きつけて、遊びに来たのだろう。もし自分が家庭を持ったら、こういう幸せもあるのだと・・・
幸せで暖かな触れ合いだった。娘を手放したくない父親の気持ちが分かるなー。ほんでも、俺の英語が彼女のスピーキングについていけなかったが。小さい子供からリスニングのレクチャーを受けたが、ダメだった。
彼女がサムを蹴って起こした(笑)。そして、みんなでブランチ。アダムの母親がチャーハン(Fried Rice)を作ってくれたのだ。ウィンナーが入っていてとても美味い。ご飯を持ってきてくれた母親とも挨拶。意外とここのところ、コメにありつけている。
アダムの家の周り |
アダムの家の周り |
どれだけ広くてリッチなのやら |
アダムの家 デカイ |
アダムの妹 |
アダムとサムとショッピングモールへ出かけた。昨日見たNational City という建物は何か?と尋ねると、銀行とのこと。松下がUSで金融業をやっていたとは。別の銀行へ。ドライブスルーだ。マジ? 銀行のドライブスルー。
位置に着くと、オペレーターとマイクでやりとりをして、筒の中に書類などを入れる。それが吸い込まれてオペレーターの所まで行き、お金などを入れて返してくれる。これは便利かもしれない。車社会のアメリカらしい。
銀行のドライブスルー |
ここに通帳や書類を入れる |
透明なプラスチックの柱?ホース?で吸い上げる |
アダムと妹 |
その後、スーパーで携帯のリチャージ用のカードを買う。なるほど、日本と同じなんだ。カードの銀色の所をコインで削るだかなんだかして(しなかったかも)、暗証番号をゲット。その後、電話をかけてその番号を入力して、リチャージ完了。
手順や自動音声での聞き取りは、アダムがやってくれた。俺は暗証番号を入力しただけ。しかも、$25分の電話代の内、$15分はいつの間にかアダムが払ってくれていた。何から何まで・・・感謝!! 携帯復活!! もし彼が日本に来る事があれば、俺が思いっきりもてなそう。
アダムの部屋に戻り、アダム、サム、妹に韓国の1000 won を記念にあげた。アダムは友達からもらった日本円のコインを既に持っていたのと、俺は既に日本円を全て両替してしまった後だったからだ。
何から何まで、俺よりも若いアダムにしてもらった。俺が唯一送って喜ばれるプレゼントが外国の貨幣だったのかもしれない。アダムは既に日本円のコインを持っていたので、韓国ウォンは喜ばれた。
アダムとサム、2,3時間後には仕事のようだった。彼らの職場は同じってことなんだろうか。
俺もそろそろ出発の時間だ。彼の両親にも挨拶をして、2時にアダムの家を出発。人も環境も暖かいここにもう少し滞在したかったが、後にする。この日は朝から晴れ上がってとても暖かい。昨日の雨、霧、寒さがウソのようだ。
USのカーナビ とてもシンプルだ |
クリーブランド |
クリーブランド・インディアンズの球場 |
エリー湖 |
エリー湖 |
せっかくなので五大湖の一つ、エリー湖を見に行く。だだっ広い湖だ。だからどうした、というだけだった。やはり。ここで3時。これからインディアナポリスを目指すわけだが、夕方5時の約束にはとても間に合わない。5時を過ぎれば、エドの仕事が終わるので連絡を入れよう。
休養と素晴らしく暖かい友人との交流で、大分時間を使ってしまっていたのだ。まあ、いいさ。とても暖かく幸せで楽しかったから。エドとの時間も何とかなるだろう。翌日日曜日は、彼も休みだし。と、開き直った俺だった。
アメリカらしい車。たまにしか見ないが |
ケーキがデカイ |
オハイオでガスを入れている時に、エドから電話があった。実は既に家にいるという。こちらも出発の遅れを伝えた。大丈夫とのことだったが、どれほど遅れるのかまだ分からない。I-70を目指し南下。I-70 から西へ。
この日はPM 10:00 位まで走った。地図では近いが、やはり広いUS。延々と続く田舎道。畑に囲まれた道を走る。途中、退屈しのぎに夕日を撮ったりもした。RVパークつまりキャンプ場があったので、写真を撮りに高速を降りた。
まぶしい!! |
夕日 運転中は暇 |
キャンプ場の写真を撮った後、Uターン。草地に入って戻ろうとしたが、段差に引っ掛かってしまった。フロントタイヤがぬかるんだ土にはまってしまった。バックしても段差を上れない。
タイヤが空転して、ドロをはじくだけ。段差で車が前に(土に)押し戻される。ヤッバ。どうしよう・・・冷や汗が流れる。かなりパニック。
とにかくできる事を。車を止めて、車をアスファルト方向に(後ろに)押すが動かない。そりゃー、パーキングにギアが入っていたからな、と一人で納得。今考えるとニュートラルにすれば、動いたかもしれない。
2,3度ハンドルを動かしてみて、最度エンジンを吹かす。車の動きが少し変わり、押し戻された時の反動に気付いた。俺の説明が悪いかもしれないが、段差から押し戻された時に反動で車が前に少し動く。最も段差から離れる所、そこが一番タイヤを転がす距離がある。
再度段差の反動を受けて、そのポイントでエンジンを吹かしバック。
思った通り、勢いが付いたので段差を脱出!! 助かった。ふっーー。薄暗がりの中、どんどん暗くなっていたから、メチャクチャ焦ったの何の。まあ、キャンプ場の側なので助けを呼びに行けば、RV車で引っ張ってくれただろうけど。
エドを待たせておいて、俺は何アホな事をやっていたのだろうか。
ブレいているがRVパーク・キャンプ場 |
夜8時になるまで太陽は沈まなかった。西を向いて走ってずっと太陽と向かい合っていたわけだが、いつまでも沈まない夕日に気付いた。4月だというのに、何て日照時間の長い事か!!
エドから聞いた事だが、それはここ1,2週間前からのことらしかった。夜9時、エドから電話。指定されたグリーンキャッスルの近くには来ていたが、心配させてしまったようだ。
何せ予定の時間を随分過ぎてしまったのだから。まあ、しかたがないか。Exit number がそのままマイルポストなのだが、エドから聞いていた番号とは違う所がグリーンキャッスルになっていたので、とにかく降りた。成るように成る、そんな気持ちだった。
I-70を降り、ガススタで方角を聞く。Depor University(デポー大学)とGreen Catsle のダウンタウンはどこか? ここはグリーンキャッスルではないよね? キャッシャーが快く答えてくれた。
方角は間違いない。外に出て道を見たが、エドが言っていた番号はマイルポスト(出口番号)ではなくて、US-hwy 231 だったのだ。なるほど。とにかくドンピシャだ。
US-hwy 231 を7,8マイル北上。話しに聞いていたガススタへ。とても小さく、人気の余り無いガススタが3軒。エドに電話。「着いたよー。待たせてゴメンネー」。時計はもう夜10時を過ぎていた。
5分ほどして、トヨタのヤリス(ヴィッツ)が到着。ご対面。エドは背が高く痩せた白人のおじさんだった。紳士的でフレンドリーなのは変わらない。
エドの家に車を止め、彼の車でレストランへ。何かの建物の中のバーだった。何を食べるか・・・メニューを見ていると、エドから魚はどうだ?と聞かれて、三つ返事で魚に決めた。魚料理は貴重だ。ファストフードばっかのUSでは。
頼んだ料理は、Catfish つまりナマズだ。それのフライ。Catfish !! ニューオーリンズで食べようとして、間違ってCrowfish ・ザリガニを頼んでしまった、アレだ(笑)。どうやら、ナマズは南部だけではなく全米で食べられるようだ。
歩き方には南部料理と出ていたのだが、やっぱり現地の友達は頼りになる。さてナマズ、泥臭さがあるが白身の魚の味だ。淡水魚でドロに潜ってる魚だから、ドロ臭いのは仕方がないか。何よりも、貴重な魚料理だ。例えフライでも。
エドと日本とUSの違いや俺の持つUSへの疑問を話し合った。人種のるつぼ "Melting Pods" のことや、俺が時間に大遅刻した事もルーズなアメリカでは問題ない事。それが日本だったら、問題になる事。確かに、これだけ広くて、時には厳しい自然環境では・・・なぁ。
会いたかったぜ!!エド!! |
あー、それからWaffle House(ワッフルハウス)の疑問も聞いた。ワッフル=パンケーキ 屋ということで、食べ物屋だったのだ。ハウスと書いてあったので、何のこっちゃ? サブプライムで弾けた住宅関係の何か?
まさか、んなばかな。高速の標識なのに・・・うーーん・・・と一人悩んでいたからだ。しかし、ワッフルハウス・・・考えただけで胸焼けだ・・・甘党の俺でも。
メシを食い終わり、グリーンキャッスルのダウンタウンを走る。古い建物で外見ではそれとはわからないが、郵便局や銀行、警察署が古い立派な建物として今でも使われていた。歴史が浅いからこそ、歴史を大切にするUSなんだなぁ。
話しに聞いていたイスズがこの辺にあり、日本人がこの辺に多いとも聞いた。彼の先祖の出身国はイギリスということで、「だから、エドはジェントルマンなんだよ!!」と俺が納得すると、2人で笑った。
もう11時を過ぎている。明日の正午に合う約束をして、俺は自分の車に乗り込む。俺は当然、酒は控えていた。エドはビールを1,2杯。出会ったガススタにエドが先導してくれた。飲酒運転じゃん(笑)。
途中、反対車線からパトカーが来たので(驚)、エドは路肩に停車。後に付いていた俺も右に寄って停車。パトカーは過ぎ去った。再びエドが走り出す。俺をダシにしてやり過ごしたのか(笑)。まあ、いいけど危なかったぞ。
ガススタについてエドと別れた。ここからさっきの高速の出入り口までは一本道だ。モーテルは土曜日だが、この辺は観光地ではない田舎なので$30 と安い。エドの家は、どうやら俺が泊まるスペースがないらしい。
まあ、いいさ。気持ちだけ貰った。
さっき道を聞いたガススタが、トラックストップだった。Marathon という名前。どうやら、この辺のローカルガススタらしかった。そこまで戻り、端に車をとめて寝る。古い、ぼろい、トイレ少し汚いが、トラックストップがあっただけでも感謝。
コウモリ |
トラックストップ |
アメリカのキャンピングカー村の疑問
RVパークの疑問も尋ねてみた。以前日本でネットを見ていたら、USにはキャンピングカーだらけの村があると見た事がある。エドが言うには、あり得ないと。
俺が思うに、おそらくその人はRVパークをキャンプ場と知らずに勘違いしたのだろう。格差の国USとかいった偏見や、こちらでのキャンプ場事情などを知らないから、そういった誤解に至ったのだろうと思う。
この疑問は単なる噂話なのか?メディケイドやボランティアが多いUSなのだが。それすらもはねつけてしまう心の病を持った人がいるということなのか。
これを逆に考えてみる。もしアメリカにキャンピングカーを家代わりにした、貧困な集落があるとする。まず、モーターホーム(キャンピングカー)自体が高い。
その集落の住民票や登録住所はどうするのか?税金の支払いや公的サービスは?治安がどうこう言う前に現代的な社会ではありえない。アメリカ国籍を持っていれば福祉の恩恵にも預かることができるし、本場のNPO団体の支援もある。
真相はどうなのだろうか。確かに、田舎でモーターホームを家変わりにしていたのは見るにはみたが、1、2軒くらいでプレハブ変わりのように見えたのだが。
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